上有知湊 今も佇む川湊
上有知湊(こうずちみなと)は、金森長近(かなもりながちか)によって、江戸時代に物資運送の玄関口として湊が築かれました。江戸時代から明治時代までこの地方の物流と交通の中心として栄えた場所です。
⇒ 上有知湊の場所と行き方
金森長近は関ケ原戦の功によりこの地を加封されると、小倉山城(おぐらやまじょう)を築き、低地にあった上有知の町を丘上に移して、城下町上有知の町造りを行いました。さらに町の繁栄策として六斎市(ろくさいいち)を開かせ、物資運送の玄関口として上有知湊をひらき、番船40艘をおいて長良川下流への舟運の拠点としました。上有知湊は江戸時代から明治時代末年までこの地方の物資の流通、交通の中心として繁昌したが、明治44年、電車の開通によって全く廃れてました。
今はわずかにかつての上有知湊を象徴するかのように川畔に建つ高さ9メートルの長良川港灯台と舟着場への石段、舟運の安全を祈るために奉祀された住吉神社、文化年中、郡上連中が奉献した石灯籠などが昔を物語る姿をとどめるだけです。
参考:岐阜県観光連盟、美濃市役所
上有知湊の場所と行き方
AROUND JAPAN RV RENTAL 南大阪営業所 から行く場合の一例
岐阜県美濃市港町1492
駐車場:なし(市営駐車場を利用 徒歩500m)
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