飛騨高山 古い町並 飛騨高山の定番スポット!
城下町の中心、商人町として発展した高山の上町、下町の三筋を古い町並と呼んでいます。出格子の連なる軒下には用水が流れ、造り酒屋には杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がり、町家の大戸や、老舗の暖簾が軒をつらねています。
⇒ 飛騨高山 古い町並の場所と行き方
上町には、駄菓子屋さんや伝統工芸のお店、名物の「みたらしだんご」のお店などが並び、多くの観光客で賑わいます。
下町は、市民生活関連の店舗が残る貴重な町並みです。菓子、餅屋、骨董屋、農機具、畳、文房具、郵便局、料理屋など昔ながらの町並みで、高山の通な観光スポットです。
金森長近の城下町づくり
飛騨を治めることになった金森長近(かなもりながちか)は、それまでの豊富な経験を生かし、経済基盤のしっかりとした城下町づくりを目指しました。この城下町の中の商人町の一部が、現在、古い町並として受け継がれています。
長近が造った城下町はどのような町だったのでしょうか。
長近はまず、現在、城山と呼ばれている山に高山城を築きました。領主は高い所に居住するという考え方があり、長近も山の上の本丸に住んでいたようです。城の周りには外敵から城を守るように家臣の屋敷群が置かれました。これらの屋敷群はほとんどが商人町より一段高い場所にあり、地元では現在その一部を「空町(そらまち)」「ソラ」などと呼んでいます。武士と商人の身分の違いを、住む場所の高さによっても明確にしていました。
商人町は武士の居住する台地より10メートルほど低い場所に築かれましたが、街道と直結し交通の便が良い場所でした。長近は武士の町も商人の町も2本の川で囲みました。現在は、江名子川(えなこがわ)、宮川(みやがわ)と呼ばれ、旧城下町の景観形成に重要な要素となっています。
商人町はその後繁栄をつづけ、富と財産を築きあげました。しかし、身分制度が厳しく、豪華な町家を作ることはできませんでした。そのため表通りからは高さも低く、質素な住宅も兼ねた店舗が立ち並ぶことになり、この商家群の一部が現在の伝統的建造物群保存地区となっています。
参考:岐阜県観光連盟、飛騨・高山観光コンベンション協会
飛騨高山 古い町並の場所と行き方
AROUND JAPAN RV RENTAL 南大阪営業所 から行く場合の一例
岐阜県高山市上一之町ほか
駐車場:なし(近隣の有料駐車場を利用)
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