曽根城公園 大垣市景観遺産のひとつ
曽根城公園(そねじょうこうえん)は、大垣で一番大きな古大垣輪中堤に隣接し、約6,200平方メートルの曽根の池を含む約21,800平方メートルの公園。芝生広場やハリヨ池、釣りができる曽根の池、さらに隣接して桜並木が壮大な輪中堤、史跡があることから、一年を通じ幅広い層の方に利用されています。
また、曽根城公園内にある花菖蒲池は、名所となっています。
⇒ 曽根城公園の場所と行き方
花菖蒲園
約3,800平方メートルの花菖蒲池に、約27,000株(2019年5月時点)のハナショウブが植えられ、白や紫、黄色など、色とりどりの花が咲き誇ります。また、見ごろを迎えると、夜間はライトアップも行われ、昼間とは違う風情を楽しむことができます。
例年6月第2週の日曜日には、花しょうぶ祭が開催されます。花期は5月下旬から6月中旬ごろまで。
ハリヨの池
曽根の池は湧水で、きれいな水をたたえています。ハリヨは、湧水などの清水でしか生息できず、岐阜県西南濃、滋賀県の東部、三重県の北部のごく限られた一部でしか見ることができない、大変珍しい小型淡水魚です。曽根の池にブラックバス等が侵入し、ハリヨが絶滅状態になったことから、昭和62年からの整備で、曽根の池の南に新たにハリヨ池を整備し、守っています。
曽根城の歴史
曽根城は、西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)が永禄年間(1558年 – 1569年)に築城。
天正7年(1579年)、一鉄は家督と曽根城を嫡子の貞通に譲り、美濃清水城に移る。外孫の福(後の春日局)を引き取った。
稲葉貞通は、天正16年(1588年)まで曽根城の城主をつとめ、郡上八幡城に移り大改修を行い、西尾光教(にしおみつのり)が曽根城城主となる。
西尾光教は斎藤道三、織田信長に仕え、本能寺の変の後は豊臣秀吉に仕えて、曽根城に2万石を領していた。秀吉没後は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでは東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じた。
西尾光教は関ヶ原の戦いでの功績により揖斐藩3万石の藩祖となり、曽根城は慶長5年(1601年)に廃城された。
参考:岐阜県観光連盟、大垣市
曽根城公園の場所と行き方
AROUND JAPAN RV RENTAL 南大阪営業所 から行く場合の一例
岐阜県大垣市曽根町1丁目716番地1
駐車場:無料
キャンピングカーのレンタル
キャンピングカーのレンタルなら、 AROUND JAPAN RV Rental にお任せください。
⇒ AROUND JAPAN RV Rental 予約サイト