宇治の鵜飼 夏の風物詩
宇治川の鵜飼は、平安時代にはすでに行われていたと言われています。現在の鵜飼は、大正15年に再興し、宇治の夏の風物詩となっています。
⇒ 宇治川の鵜飼の場所と行き方
歴史
天禄2年(971)奈良の長谷寺に参詣した藤原の道綱の母は、その往復に宇治を過ぎて、川岸から鵜飼を見物しています。 彼女が残した「蜻蛉日記では」、川幅一杯に数え切れぬほどの鵜舟が出て、それぞれにかがり火を焚き舟べりをたたいて、夜通し鮎を捕りつづけている様子が、興味深く書き留められています。 当時は、宇治川の風物詩、氷魚を捕る網代とともに、盛んに行われていたようです。 平安時代の後期になると仏教の教えの影響をうけて次第に宇治川での殺生が戒められるようになりました。 西大寺の僧 叡尊は、宇治川における殺生の全面的禁断を命じる太政官符により、浮島のあたりに漁具・漁舟を埋め、日本最大の十三重石塔を建立し魚霊を供養し、宇治橋の再興を行いました。そして平安貴族の衰微とともに、宇治川の鵜飼も衰退していきました。
鵜
鵜飼の鵜は、渡り鳥でウミウという種類になります。鵜匠は、捕獲された野生のウミウを鵜飼が出来るように訓練します。
鋭いくちばしと爪を持つ鵜を、鵜匠が愛情を込めて育て、鵜飼の時には、追い綱(鵜をつなぐ紐)を通じて鵜と繋がります。
鵜匠
鵜を操る人を鵜匠(うしょう)と呼びます。宇治には3名の鵜匠が在籍しており、内2人の女性の鵜匠が活躍しています。
風折烏帽子に腰みの姿の伝統的な装束で鵜飼を行います。夏の鵜飼シーズンは、もちろんのこと、シーズン以外の時も鵜の世話をしています。宇治川では、鵜匠は6羽の鵜を操り鵜飼を行います。
うみうのウッティー
平成26年(2014年)に日本で初めて人工ふ化で生まれたウミウで、ウッティーと名付けられました。翌年以降も毎年ヒナが誕生し、現在9羽のウッティーたちは、元気に育っております。 鵜匠を親と思い育ったウッティーは、愛嬌たっぷりで皆さんをお迎えいたします。
*体調等の都合によりウッティーが出演しない場合もあります。
参考:(公社)京都府観光連盟、宇治市観光協会
宇治川の鵜飼の場所と行き方
AROUND JAPAN RV RENTAL 南大阪営業所 から行く場合の一例
京都府宇治市宇治塔川
駐車場:無し(近隣の有料駐車場を利用)
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