馬見岡綿向神社 湖東の大宮
馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)は、もとは、綿向山(1,110m)の頂上に鎮座していましたが、蒲生氏が城下町を開いてから現在地に移され、湖東の大宮として信仰を集めました。
⇒ 馬見岡綿向神社の場所と行き方
昔、山頂から2羽の雁が飛んできて消えたのを見て、村人たちが神が降りてきたと思って、山麓に社を建てたという話が残っており、このことから「二羽雁」が神紋(しんもん)となっています。
壮大な境内には、拝殿や本殿をはじめ、江戸時代に日野商人が寄進したという立派な石灯籠(いしどうろう)や石橋があります。
本殿右前には、六角形で火袋(かたい)に散蓮華(さんれんげ)を刻む鎌倉時代の石灯籠があります。また、境内の正面右側に「千両松」と書かれた石碑があり、1本の松が植えられています。この松は、江戸時代に遠方で商売して儲けた辻惣兵衛(つじそうべえ)という人が、大金を日野に持ち帰るために、植木鉢の中に小判を隠してその上に松の木を植えました。その結果、無事に日野まで帰れたのでそのお礼に、この境内に松を植えたといわれています。
神使『猪』
当神社と猪の関係は御鎮座の由来にさかのぼります。社伝によると今からおおよそ1500年前の欽明天皇6年(西暦545年)、蒲生の豪族であった蒲生稲置三麿(がもうのいなぎみまろ)と山部連羽咋(やまべのむらじはぐい)が綿向山に猟に来てい時、一天にわかに掻き曇り、4月(新暦の5月)というのに大雪となった。二人は岩陰で雪の止むのを待ち、外に出て見ると大きな猪の足跡を見つけたという。夢中になって足跡を追いかけていくうちに、何時しか頂上と導かれ、そこに白髪の老人が現れた。その老人は「私は古くに出雲の国よりこの山に来ているが、誰も気付かずにいる。この山の頂に祠を建てて私を祀れ」と言って消えたという。二人は早速このことを時の朝廷に奏聞し、この綿向山の神様の御託宣に従い祠を建て、四季のお祭りを勤めたと伝わる。
この謂われをもって、猪は綿向大神の神使いといわれ、御社殿や神輿、石灯籠などの装飾としても使われている。
日野祭
馬見岡綿向神社の春の例祭。850年以上の歴史を持つ日野で最も大きなお祭り。
毎年5月2日(宵祭)、3日(本祭)にわたって行われ、2日は夕暮れより各町内の山倉や辻まで曳山が引き出され、ちょうちんに明かりを灯して夜遅くまで祭ばやしがかなでられ、祭り気分を盛り上げます。
参考:滋賀びわ湖観光情報、日野観光協会
馬見岡綿向神社の場所と行き方
AROUND JAPAN RV RENTAL 南大阪営業所 から行く場合の一例
滋賀県蒲生郡日野町村井705
駐車場:有り (イベント時は駐車場なし)
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