五先賢の館 浅井町ゆかりの五人の賢人
五先賢の館(ごせんけんのやかた)は、浅井町ゆかりの五人の先人(相応和尚、海北友松、小堀遠州、片桐且元、小野湖山)の偉業を、50点にも及ぶ展示品と映像で分かりやすく紹介。又、中央シンボルタワーには、先人をイメージしたステンドグラスを配し、館南からは遠州流を施した庭園を臨むことができ、来館者の心を和ませます。
⇒ 五先賢の館の場所と行き方
五先賢について
歴史文化の深い土壌で育った賢人達は、それぞれの道の学問と行(ぎょう)を積み、自己を磨きあげ人の道を究め、生き切るという日本文化の素晴らしさを守り育ててくれました。
相応和尚 そうおう かしょう
比叡山の高僧。天長8年(831年)北野町で生まれる。
比叡山千日回峰行の創始者。千日回峰行は、天台宗の聖地、中国・五台山の風習から創始した宗教界最難な荒行です。相応は「学問の裏には行(ぎょう)が、行の裏には学問の裏打ちが必要。車の両輪の如く両者共に学ばねば本当のものが自分のものにならぬ」として修業に励みました。
また、菅原道真(すがわらの みちざね)とは互いに学び、支え合う良き友でした。
831~918年
海北友松 かいほう ゆうしょう
安土桃山時代の画家。天文2年(1533年)瓜生町で生まれる。
狩野派について画を学びました。朝廷の御用をつとめ、また豊臣秀吉に仕えて聚楽第に多くの絵を描きました。見識高く、常に武将・貴族・禅僧らと親交し、禅・茶・歌の道にも深かったといいます。絵は鋭い気迫に満ち、豊かな感情のあらわれたもので、建仁寺の水墨襖絵と妙心寺金地彩色屏風が特に有名です。
1533年~1615年
片桐且元 かたぎり かつもと
安土桃山時代の武将。弘治2年(1556年)須賀谷町で生まれる。
秀吉に仕え、天正11年(1583年)、賤ケ岳の戦いで抜群の功をたてた「七本槍」のひとりとして有名です。秀吉の死後は秀頼に仕え、豊臣家を救うために徳川家康と交渉するなど心血を注いで努力しましたが、かえって淀殿らに疑われて志は成りませんでした。豊臣家滅亡直後に世を去りました。
1556年~1615年
小堀遠州 こぼり えんしゅう
江戸時代の茶人・造園建築家。天正7年(1579年)小堀町で生まれる。
多芸多彩の天才で、茶人としては千利休・古田織部と並んで三大茶人の一人に数えられます。徳川秀忠、家光の二代にわたり茶道師範をつとめ、遠州流の祖となりました。遠州の造園のなかでも、大徳寺・孤篷庵・桂離宮・二条城などは著名。小室藩主(小室町)となり、日照りで困っている農民のために田根の各所にため池を造りました。
1579年~1647年
小野湖山 おの こざん
明治時代の漢詩人。文化11年(1814年)高畑町で生まれる。
本名は横山巻。通称は仙助。初め医学を学んだが転じて詩を学び、三河国(愛知県)吉田藩に仕えましたが、安政の大獄で幽閉されました。明治4年(1871年)の廃藩置県後は悠々自適の生活を送り、詩人として活躍しました。維新の功によって従五位に叙せられました。「湖山楼詩鈔」「湖山老後詩」などの著書があります。明治16年(1883年)に天皇陛下から硯をたまわりました。
1814年~1910年
参考:滋賀びわ湖観光情報、五先賢の館
五先賢の館の場所と行き方
AROUND JAPAN RV RENTAL 南大阪営業所 から行く場合の一例
滋賀県長浜市北野町1386
駐車場:有り
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