水口宿 東海道五十番目の宿場
水口宿(みなくちじゅく)は、江戸時代初期、徳川幕府によって指定された東海道五十番目の宿場です。古城山の南に町並みが形成され特徴的な「三筋町」として発展した宿場で、今もその面影を残しています。古城山の南に町並みが形成され「街道一の人止場」と言われました。名物に葛藤細工、干瓢がありました。
⇒ 水口宿の場所と行き方
水口宿東見附跡
水口宿の東端に設けられたもので、枡形土塀と柵で区画し、木戸や番所を置き旅人を監視しました。これに対し宿の西端には西見附が置かれ、それぞれ「江戸口」と呼ばれました。「伊勢参宮名所図会」は水口の場面に東見附と付近の町並みを大きく描いています。
水口宿本陣跡
水口本陣は古い家柄で苗字帯刀を許された鵜飼伝左ヱ門が営んでいました。表門は貴人宿泊の格式を表し、瓦葺か冠木門で屋舎は平屋でした。本陣の特色として庭はあるが絶対に石は入れず、必ず裏手に立ち退き口があり、非常の際の脱出口になりました。現在の本陣跡は明治天皇行在所の石碑が建っているだけでその面影はありません。
近くに脇本陣もあります。本陣の予備的なものです。現在の脇本陣は内部を壁で仕切って、倉庫・住居として使用中です。わずかに水口脇本陣の面影がしのばれるのは江戸の様式を示す蟇股と間取り図が残っていることです。
三筋の辻 からくり時計
天下を握った家康は慶長6年東海道を整備し五十三の駅をおいて公用の輸送を確立。この時水口も宿駅となりました。宿場は町数27、家数718と発展。庶民の旅が盛んとなった江戸後期には40余りの旅宿と本陣・脇本陣で賑わいました。ここ三筋に水口のシンボル水口祭の曳山を模して、からくり時計を設置しています(三筋町の東西二ケ所にあります)
参考:滋賀びわ湖観光情報、甲賀市観光ガイド
水口宿の場所と行き方
AROUND JAPAN RV RENTAL 南大阪営業所 から行く場合の一例
滋賀県甲賀市水口町元町
駐車場:無し(近江鉄道本線水口駅付近の駐車場から約1.3km)
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