千葉山 智満寺 天台宗のお寺
智満寺(ちまんじ)は、標高496メートル程の千葉山の山中にある、源頼朝をはじめ、戦国武将 今川氏、徳川氏から帰依を受け、手厚く保護され、多くの貴重な文化財を伝える天台宗の古刹です。
⇒ 千葉山 智満寺の場所と行き方
寺伝によると、神護景雲年中(767~769)に、鑑真の法孫にあたる広智(こうち)という高僧がこの地に草案を結び、宝亀2(771)年に、光仁天皇の勅願により鑑護国家の御願寺になったのが智満寺の創建といわれていて、当初は、宝亀山また広智山と称しており、平安時代の中期以降は、修験道の霊場である山岳寺院として栄えたと考えられています。
また、本堂下とその周辺の発掘調査により、瓦が平安時代中期から後期と、鎌倉時代初期のものであることがわかり、本堂の創建年代・再建年代などを裏付ける貴重な資料等が出土されています。
開創当時に大伽藍は火事にあい、文治5(1189)年 源頼朝の命により、千葉常胤(ちばつねたね)、千葉常師(ちばつねもろ)たちによって本堂が再建されました。現存する本尊の千手観音菩薩像は本尊再建と関係があるのではと指摘されており、平安時代後期の作とみられています。この再建を契機に千葉氏の名を末代に伝えるため、山号を千葉山と改め、同鎌倉時代に山頂の奥ノ院が建立されています。
南北朝時代の動乱の影響を受けて、寺院は荒廃し、文和3(1354)年に再び火災に見舞われたため、延文年中(1356~61)に駿河守護今川範氏の庇護を仰ぎ復興されました。
今川氏没し後、永禄11(1568)年、駿河に進出する武田信玄によって大津の多くの神社が焼失し、智満寺も甲州勢に攻められましたが、戦禍を逃れることができました。
天正16(1588)年、藤枝の医師河村次郎右衛門が薬師堂を建立し、翌年天正17(1589)年3月に徳川家康の命により、本堂や中門が再建されました。これが、現在に伝わる本堂で、五間堂、茅葺、入母屋造は桃山文化の影響がみられます。
慶長10(1605)年に厨子、慶長15(1610)年に二十八部衆の像が再建、江戸時代に入り、仁王門、鐘楼が建立、現在の伽藍が形成され、現在に至っています。
智満寺は多くの貴重な文化財を伝えており、本堂・薬師堂・仁王門・中門は国、県の重要文化財に指定されています。
昭和39(1964)年に国の天然記念物に指定されている智満寺周辺に生い茂る、推定樹齢 800~1000年とも言われる杉の巨木群 10本杉(開山杉・大杉・達磨杉・雷杉・常胤杉・経師杉・一本杉・盛相杉・子持杉・頼朝杉)の圧倒的な巨木の迫力・生命力が見ものです。
参考:人島田市観光協会
写真提供:静岡県観光協会
千葉山 智満寺の場所と行き方
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静岡県島田市千葉254
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