日坂宿 小さな宿場町

日坂宿

日坂(にっさか)は東海道三大難所の1つ「小夜の中山峠」の西の麓に位置し、西坂、入坂、新坂とも書かれていました。
慶長6年(1601)徳川家康による東海道の整備にともない、問屋場が設けられ、伝馬の継ぎ立て駅として重要な存在でした。
日坂宿の場所と行き方

日坂宿

天保14年(1843年)の記録によると、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋33軒等、家数168軒、人口750人の小さな宿場町でしたが、大井川の川止めの時などは金谷宿に泊まりきれなかった旅人であふれ、かなりの賑わいであったと思われます。
大田南畝の「改元紀行」には、日坂宿の家々はわらび餅を売り、足いたみの薬、足豆散・足癒散等を売るものも多いと記されています。

日坂宿の見どころ

日坂宿

宿場の東口から西口までの距離はおよそ700m。現在の町並みには旅籠屋川坂屋や萬屋、藤文蔵、常夜灯などが残り、家々には往時の屋号を掲げるなどして町ぐるみで遺構を保全しています。

秋葉常夜灯

庶民の秋葉山に対する信仰は、江戸中期にとても盛んになりました。常夜燈は秋葉山に参詣するための街道沿いにあるものばかりでなく、人々が火伏せの神への信仰や地域内の安全を願って建てられたものも数多くあります。

高札場跡

高札場とは、幕府や領主が決めた法度や掟書などを高札と呼ばれる木の札に記して、掲示しておく場所のことです。多くの人の目につくように、村の中心や主要な街道が交錯する交差点といった人通りの多い場所に設置されていました。

川坂屋

日坂宿の旅籠屋で、江戸時代の面影を遺す数少ない建物のひとつです。
江戸より招いた棟梁の手で、精巧な木組みと細やかな格子が造作されたといわれています。身分の高い武士や公家などが宿泊した格の高い脇本陣格であったことが伺えます。

萬屋

もっぱら庶民の泊まる旅籠でした。
間口が四間半であり、幕末としては中規模の旅篭です。江戸時代そのままに、一階が「みせ」や「帳場」で、二階には宿泊のための「座敷」などを今も残しています。

藤文蔵

日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七邸の土蔵です。
明治4年(1871年)郵便制度が発足すると同時に、日本最初の郵便局のひとつとなった建物と云われています。

脇本陣跡

幕末期に日坂宿最後の脇本陣を努めた黒田屋(大澤富三郎家)があった場所です。
文久2年(1862年)の宿内軒並取調書上帳には、黒田屋は間口8間・奥行15間・畳101畳・板鋪15畳・総坪数120坪あったと記されています。

問屋場跡

問屋場では、人馬の継立や御用旅宿の手配をはじめ、幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務を行っていました。

本陣跡

江戸時代に諸大名が江戸と国元を往復した時の旅館にあてた宿駅の宿泊所を本陣といいます。
日坂宿本陣の屋号は「扇屋」で、代々片岡家が世襲で営んでいました。本陣の敷地はおよそ350坪、建坪220坪、門構・玄関付の建物で、 嘉永5年(1852年)の日坂宿の大火で全焼、再建後、明治3年(1870年)に店を閉じました。

秋葉常夜灯

日坂宿は、しばしば火災にあったためか、秋葉信仰が盛んだったようです。

参考:掛川観光協会
写真提供:掛川市

日坂宿の場所と行き方

AROUND JAPAN RV RENTAL 東京 新木場営業所 から行く場合の一例
静岡県掛川市日坂27
駐車場 なし(川坂屋見学者駐車場)

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