高天神城跡 難攻不落の名城址
「高天神(たかてんじん)を制するものは遠州を制する」といわれた要衝です。戦国時代に徳川・武田の両雄が攻防戦を繰り広げた決戦場で、東海一の堅塁を誇った山城です。標高132メートルの鶴翁山の地形を巧みに活かした高天神城は「難攻不落の名城」と呼ばれていましたが、家康の兵糧攻めに遭い落城しました。城跡は国の文化財に指定されています。平成29年4月6日(2017年)に「続日本100名城」に認定されました。
⇒ 高天神城跡の場所と行き方
高天神城は、小笠山から南東にのびる尾根の先端、標高132mの鶴翁山を中心に造られた山城です。東の田園地帯から南側の遠州灘まで見渡すことができ、小笠山の北を通る東海道を牽制できる立地条件にある重要な城であったため、徳川と武田が争奪戦を繰り広げました。
眼下には、下小笠川など中小の河川が流れ、天然の堀を成し、尾根は三方が断崖絶壁、一方が尾根続きという天然の要害であり、「難攻不落の名城」と呼ばれ、「高天神を制するものは遠州を制する」といわれた要衝です。
高天神城の築城は、室町時代、今川氏が守護大名から戦国大名に成長する過程で築かれたとする説が有力であると言われています。
今川氏の滅亡後徳川家康の持ち城となり、小笠原長忠が引き継ぎ城主となりました。
1571年(元亀2年)、武田信玄では攻め落とせず、1574年(天正2年)、信玄の息子・勝頼が二万の大軍で攻め、ついに開城させました。しかし、織田・徳川連合軍に大敗した武田勝頼は、その後衰退。横須賀城を拠点とした家康が高天神城の奪還に成功しました。
高天神六砦
戦国時代、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れると今川家は衰退。高天神城は、三河の徳川家康と甲斐の武田信玄に挟まれ、高天神城の城主小笠原与八郎長忠(氏助)は、家康の支配下に入ったが、天正2年(1574)に信玄の息子 勝頼により落城した。
その後、徳川家康は高天神城奪還のために、横須賀城を作り、さらに高天神城を孤立させるため周囲を囲む攻撃用の砦を、北から小笠山・能ヶ坂・火ヶ峰・獅子ヶ鼻・中村・三井山に6つ作った。これらは「高天神六砦」と呼ばれた。
この砦により、高天神城への補給路が断たれ、兵糧・弾薬が少なくなるだけでなく、高天神城からの脱出も出来なくなった。城番 岡部丹波守長教らは覚悟を決め、天正9年(1581)全ての兵が城から討って出て、激しい戦いの末全員討ち死にし、徳川により落城した。
大東北公民館
高天神城から車で5分ほどの大東北公民館には、高天神城の資料やパンフレットが用意されています。城スタンプもあります。
住所:静岡県掛川市下土方267-1
⇒ 高天神城 搦手門駐車場から東北公民館
参考:掛川市役所、掛川観光協会
写真提供:掛川市
高天神城跡の場所と行き方
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静岡県掛川市上土方嶺向
駐車場 無料 ・北口(搦め手門側):約100台 ・南口(追手門側):約10台
※ 北口駐車場にはトイレもあります。
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