篠山城大書院 古式の建築様式

篠山城大書院

大書院(おおしょいん)は慶長14年(1609年)の篠山城築城と同時に建てられました。昭和19年(1944年)1月6日夜に焼失してしまいましたが、篠山市民の熱い願いと尊い寄付によって平成12年(2000年)3月に再建されました。
篠山城大書院の場所と行き方

大書院の特徴

篠山城大書院

大書院は木造住宅建築としては非常に規模が大きく、現存する同様の建物の中では京都二条城の二の丸御殿遠侍に匹敵する建物です。二条城の御殿は将軍が上洛したと きの宿所となった第一級の建物ということから、大書院は一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えたものといえます。

大書院の規模

大書院を復元するにあたっては、古絵図、古写真、発掘踏査等の総合的な学術調査が実施され、その成果に基づいて設計と建築が行われ、平成12年3月に完成しました。復元された建物は平屋建てで北(妻側)を建物正面とします。床面積は739.33平方メートル、棟高は12.88メートルあり、屋根は入母屋造 、こけら葺きとなっています。

上段の間について

篠山城大書院 上段の間

上段の間は、最も格式の高い部屋であり、幅3.5間(6.9m)の大床、その左手に付書院、右手に違い棚、帳台構が設けられています。こういった座敷を飾るしつらえが整うのは大書院が創建された慶長頃のことと考えられています。この上段の間には、往事の雰囲気を再現させるため、江戸時代初期の狩野派絵師が描いた 屏風絵を障壁画として転用しています。

篠山城

篠山城大書院

篠山城(ささやまじょう)は、慶長14年(1609)、天下普請の城として、徳川家康が、十五ヶ国、二十の大名に夫役を命じ、縄張奉行に藤堂高虎、普請奉行に池田輝政らが指揮を執り、大坂城を包囲し、豊臣家ゆかりの諸大名を抑えるために築城されました。
財団法人日本城郭協会が選定した「日本100名城」にも選ばれています。

参考:ひょうご観光本部、丹波篠山観光協会

篠山城大書院の場所と行き方

AROUND JAPAN RV RENTAL 南大阪営業所 から行く場合の一例
兵庫県丹波篠山市北新町2−3
駐車場:有料(三の丸西駐車場)

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